小学生にも劣る大学生を量産している韓国の教育
ここに韓国の大学と大学生の現状を示す資料がある。にわかには信じられない内容だが、これは紛れもなく韓国の教育の現実だ。
15大学の経済学科・数学科・コンピュータ学科の学生757人を対象に「75.3%」を少数で表すといくつになるかを質問した。韓国の教育課程では小学校6年生が習う問題だ。対象となった大学生の23.9%が、5つの選択肢の中から正解を選ぶのに失敗した。
また、これら大学生の14.5%は「『0.8、13/20、37/50、0.27、85/100』のうちから最も大きい数を選べ」という小学校4年生相当の問題を間違えた。さらに30.6%は中学校2年生が習う1次関数の概念を知らなかった。
これは、成均館(ソンギュングァン)大学教育学科のグループが、数学を使う機会が比較的多い専攻分野の大学生を対象に行った調査だ。
韓国労働研究院が2005年に発表した報告書によると、韓国で4年制大学を卒業するまでにかかる教育費の総額は1億1190万?1億3071万ウォン(約1380万?1610万円)だ。余裕のない親が子どもを大学に進学させるためにこれほどの額を注ぎ込んでいるのに、小学校や中学校の数学の問題すら解けない学生が量産されている。韓国教育は今、小学校6年、中学校3年、高等学校3年の計12年もかけて、こうした水準の学生を生み出しているのだ。
もちろん一番情けなく思うのは学生本人だろう。保護者にとってもそれは同じだろう。その次に、この問題を自分のことのように考えるべきなのは誰か。教師たちは自分たちの責任だと考えているだろうか。あるいは、四六時中「公教育の正常化」という平等理念を唱えている教育部の当局者や政府関係者たちが非が自分たちにあると考えているだろうか。彼らの言動を見ると、そうした雰囲気は全く感じられない。反省のそぶりもない。
サムスン電子は新入社員の教育に年間800億ウォン(約99億円)を費やしている。それ故、どの企業も他の企業で勤務経験のある人だけを採用しようとする。これは数字にも現れている。主要大企業におけるキャリア採用の割合は、1996年の39.6%から2004年には79%に増えている。
ソウルのある大学では学生たちの英語力の水準が低すぎるため、教授らが「いっそ高校の英語の参考書から教えよう」という話が出たが、「大学は塾ではない」という反発が起きて実現しなかったという。ソウル大ですら新入生の10?25%を対象に入学前に高校の数学や英語を復習する特別授業を受けさせている状況だ。
グローバル化時代を迎え、国境の垣根はどんどん低くなっている。中国の大学生と韓国の大学生、シンガポールの大学生が同じフィールドで実力を競い合うことになる。中国では今年9月に410万人の学生が大学を卒業する。韓国では年間60万人が大学を卒業する。中国の大学生の数が2000万人なのに対し、韓国は350万人だ。韓国の大学生1人が中国の大学生6人、7人分の働きをしてこそ釣り合いがとれる。しかし実状はその逆だ。
日本の国際科学振興財団は2003年、韓国・中国・日本でそれぞれ約10大学の理工系学部の1・4年生を対象に学力を調査した。その結果、数学・物理・化学のすべての分野の学力評価で韓国が最下位となった。大学1年生の数学の成績は大学別に中国が31.6?35.6点、日本が10?47.4で、韓国は1.3?16点だった。1年生の化学の成績(38点)も中国(79点)や日本(76点)の半分の水準にとどまった。国際科学振興財団の研究チームは報告書で「韓国がカリキュラムのとおりに授業を行っているにもかかわらずこうした状況にあるのか、調査する必要がある」というコメントを載せまでした。
ドイツは、2000年のOECD(経済協力開発機構)学力調査で自国の学生が最下位水準の成績にとどまったことを受け、まず「国家教育水準診断委員会」を設置した。あらゆる資料を検討し、ドイツの教育が下位に落ち込んだ理由と、その解決策を探ろうというものだ。ドイツはこうした作業を通じ、2003年に「ブレイン・アップ(Brain Up)」という「反平準化」教育改革を開始した。
いま韓国はドイツとは正反対の方向に進んでいる。韓国は小学生にも劣る大学生を作っておきながら、学力評価資料を分析して公開した教授を「秘密漏えい」で告発する国だ。
「現在」に重要なのは経済だが、「未来」を左右するのは教育だ。経済が傾けば国民が仕事を失い、教育が崩壊すればわれわれの子どもたちは外国の工場で、外国人の管理のもと、涙に暮れながら働くことになるかもしれない。
こうした現実を前にして、「平等」や「平準化」の呪文ばかり唱えていてよいはずがない。盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領と教育部長官は、国の未来、子どもたちの未来を、そのさびついた理念で台無しにしてはならない。
と、朝鮮日報が社説で嘆いています。
韓国を日本に置き換えるならば、エッヘン、オッホンと咳払いしていられないように思いますね。
言葉を知っていても意味を理解できない坊ちゃんを首相にした日本の年末から来年は、寒風が吹き通しでしょうなぁ。
こんなやつを選んだのは、能天気なあんたたちだぜ。
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