水曜日, 8月 08, 2007
戦争に関して、皆さん各自に強い思いがあります。
総論としては戦争よりも平和を希求するとなりそうです。平和に至る各論については議論を深めることも必要かもしれません。
今回は、コメントに対する私の所見としたいと思います。
コメントに対してはコメント欄で対応すべきかもしれませんが、字数制限という無粋な決まりがありますし、それに臨機応変に対処できるブログ記事欄にしました。
まず、8月6日のブログで訂正すべき箇所があります。爆撃機の機種ですが、なぜか私のキーボードがB52とすべきところをB29という化石の数字に置き換わっていました。世代的にはB29が親とするならばB52は嫡子に相当するので血統的にも問題は無いわけで、親と子を間違えたようなものです。昨今では背丈で判別するならば、親が子の背丈で子が親の背丈ですから、あながち間違いとも言えなくないような・・・という非常に苦しい言い訳を書き込もうとしたので、文字数制限に抵触する次第です。
で、私はA級戦犯の孫とは違いますので、ここは素直に文字の退廃を認め訂正いたします。爆撃の機種は、B29と思われるを「B52と思われる」に盛大に訂正いたします。
さて、lanerfontさんの書き込みですが、同感の至りです。私流に付け足すならば、兵士は権力者や裕福家のどうでもよい消耗品のようなものでしょう。人命は彼らのための人柱ならぬ人紙であり、兵士が一人死ぬたびに札束が転がり込むといっても過言ではないでしょう。
なのに、世のワイドショー好きな人種は、ミーハー・コイズミの扇動に乗せられてブッシュ一味の資産形成に手を貸したわけです。その結果、A級戦犯の明後日方角しか見られない孫を大日本国の首相にしてしまいました。日本国憲法で首相になれたのに、その憲法を否定しようとしているのですから、首相の座もまがい物の結果だと公言しているようなものですよね。この矛盾に気がついていないのですから、立派な政治家です。(憲法各論に関する議論を呼ぶつもりはありません。単なる比喩として読み流ししてください。)
ところで、良くも悪くも私たちを戦争を「直視」させるようにしたのが、湾岸戦争です。アメリカのプロパガンダ映像に私も嵌りました。突撃する爆弾の視線とはこういうものかと引き込まれもしました。命中や誤中もゲームの世界そのものでしたね。画面の上部に得点経過が出ないだけがゲームとの違いだったのかもしれません。あれでは、本当の戦争の悲惨さや醜さ恐怖・この世の地獄図を想起せよといっても無理なことです。
あの湾岸戦争の映像で、見た人の全てが「綺麗な戦争」を焼き付けられたのかもしれません。戦地にいるのは、ゲームのキャラクターに過ぎないとさえ思ったかもしれません。
もっと最近では、2001年9月11日の世界貿易センター南棟への航空機の激突です。世界中に生中継している最中に見ている人全てが、目撃したことになります。当時、私もかぶりつきで見ていたので、あれっ、画面を黒いものが横切って消えたぞと思い終える間も無くツインタワーのもうひとつに白煙と黒煙とが上がっていましたよね。そして、その後のビルの崩壊中継、もうまるでテレビゲームの世界でした。バーチャルなのか現実なのか、それよりも、目撃事態を否定したい心理作用が働いたいたようにさえ思います。そして、しばらくの間、数年間はこの衝撃があったことは確かだけれども、私の中では受け入れがたいというか拒絶しかなかったように思います。ですから、今の私が911に関してしつこく追求しているのは、その拒絶に対する自己嫌悪の払拭と事実に背を向けようとしていた自責の念からかもしれません。
lanerfontさんの書き込み以上に悲惨な映像を私は格納しています。以前は見ることさえ避けていたのですが、その映像に写っている肉片にも人生が刻まれていたことを忘却しないためにです。脳が千切れて飛び散っているのとか手足が皮一枚でぶらさがっいるのとか言語に表せないような映像です。それが今も昔も変わらない本物の戦地の状況です。
やむにやまれず真相画像で素材として死者の写っている場面を使うこともありますが、極力個人を特定できないように編集しているつもりです。それでも、用いたことに対する無念さというか自己嫌悪感からは解き放たれません。特に感情的に作ってしまったイラクの子供たちの記録に関しては、私の趣旨に完全に反するものになっていました。公開を停止するのは簡単ですが、伝え続けなければならない記録でもあり、葛藤がまだ続いています。
さて、shionさん。非常に近い身内の戦死とその後の状況、これは、当時の日本で至極当たり前のような光景とその後なのかもしれませんね。白木の箱に入っていたのが、紙片一枚だったと数多く聞いていました。しかし、幸にもというか私の知っている範囲内で戦死した身内がいないものですから、shionさんのような「体験」を読ませてもらうことは、私にとって貴重な体験になります。
茶痴を入れるわけではないのですが、昔から京都の人は冷たいって言われているではないですか、戦後の混乱期だけが冷たいわけではないのですよね。御所が京都にあることがその所作でしょう。私は3都に旅するときは、宿は奈良に決めています。日頃聖徳太子さんに疎遠にされているので、せめて3都に出向いたときだけは最接近して一夜を過ごそうと刹那に決心しているのです。(夏目漱石さんなど興ざめする固有名詞は使いません。見える肖像が代替わりしようとも我が心中の万札は聖徳太子さんです。千円札も聖徳太子さんというほど化石化していません、念のために書き込んでおきます。でもお小遣いで板垣退助さんをもらたっことがあったような・・・たぶん気のせいでしょう。)
真面目に話題を転じましょう。
日本列島の砂浜沈下の件ですが、人為的現象の反動であるとも取れるし、あるいは地球の本当に自然現象であるかもしれません。たまたま、私たちの生きている時代がそのような状況に遭遇しているのかもしれません。数値は、どうにでも左右できます。確定申告でたいていの人は実体験していることでしょう。ですから税務署が強くの賜るのです。「確定申告は正しく」と。
標語は、現実の裏返し、つまり完全に不足していることを表すようなものです。確定申告で数値をごまかすのが多いのに辟易しているのと確定申告は数値を作為してあるという確信があるので、「確定申告は正しく」という標語になるのです。だから税務調査という余計な仕事が本来の仕事に変身しているのです。
で、税務調査を受ける方としては何かのお土産が必要なので、追加で納付する税額で妥協できる金額が簡単に見つけられるようにわざと指摘される箇所を作るのです。それでそろそろ税務調査がきそうだなという本能の臭覚が働くと、この月の売上を1と2を間違えて作ることを薦めたいとなる次第です。そして目出度く、お土産として一本、金額でウン十万円也を用意してお待ちするわけです。
しかしそこで手綱を緩めてはならず、他の年と項目はピッタしカンカンのビタ一円も狂いの無いように税務署以上に厳しい監査をし、税務調査の時間短縮に協力するわけです。税務調査担当者は、納税者がこのように税務署の恐喝に応じていることすら認識する余地もないのですね。当然お土産代は、ピッタしカンカンの項目の中に分散して紛れ込ませ、実害の無いように経理処理しておかねばなりません。ここで経理と監査の連携の強さが試されることにもなるのです。
ですから、私の数値の実体験から言うと、日本列島の砂浜沈下の数値も北極の海氷が40年後に氷解するという数値も懐疑的に見る必要もあるのではとなるのです。当然証拠となりうる数値データも多数ありますが、それらが唯一の資料でもないのです。
地球という自然に対する人為作用は、案ずるほどのものでないかもしれません。
地球の平均気温が上昇しているとするならば、地球自体の自然治癒力が作用していると解釈することもできるでしょう。私たちが病気を治癒するために体温を上昇させて血液の流れをよくするのと似たものと思えなくないですよね。私たちの人為作用がウィルスなのかもしれませんが、地球を破滅させるほど強力なウイルスではありません。マグマの噴出で綺麗さっぱり消されます。地球の自然に対する心配よりも、私たちウィルスが地球に絶滅させられないように控えめに行動すべきだと思う今年この頃です。
超ブログ「きっこの日記」に内容で太刀打ちできないから文字数で何とかかんとかしようとしてみたものの、相当横道にそれ放題になるのでこの辺で赤旗を揚げることにします。
どこかの超有名なブログは、さりげなく訂正しているけれども当ブログは、徹底的に誤字脱字勘違いをそのままにします。しかし、人知れずいつの間にか入れ替えたりはします。本日のこのブログ記事も真正面から向き合ってもらいたいところとどうでもいいような茶飲み話のところが混在していますので、適宜切り取って都合のいいように解釈してください。このブログは超有名なブログと異なり日陰の書き込まないとアクセスのないブログですので、私の解釈は強制しません。
また、書き込むのは私ですが読んで解釈するのは皆様お一人お一人異なるのですし、皆様の解釈を私が勝手に想起してもその通りではありませんしね (^_-)-☆
◎◎◎ 宇宙だけでなく911と戦争と平和についてもコスモス・ビジョンは映像記録を残す ◎◎◎
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避暑策として大画面コンピ君に冷水を浴びせようとしていたらXPが動かなくなり逆襲されて冷凍化してしまいました。セーフモードでも起動しないので、初期化か好ましからざるビスタの選択を迫られています。このブログ記事は、バイオに扇風機を当てて機嫌をとりながら書き込んでいます。
私の現在の心境を今日の画像にしてみました。なお、本日の記事は他のブログサイトのコメントに対する私の返信でしたが、捨てるに偲び難いほど長文になったがために見境なくこのブログでも転用しました。
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