月曜日, 4月 23, 2007

死者に鞭を打たねどもこの発言の遺族には同情しない

長崎市長候補者が凶弾に消えたことは、日本でもテロリストが散在していることを証明したことになろう。

市民の投じた一票に対して、落選した元市長候補者の遺族のこのような発言は、どんなに感情が高ぶっていたにせよ聞き流すことはできない。


『「率直に言わせてもらえば、長崎市民の方々、父伊藤一長は、その程度の存在だったんですか! 残念です。父が浮かばれない。愛する長崎にこんな仕打ちをされて・・・」』


市長職を何だと思っているのだ。今まで支持していた市民の心に土足で立ち入ったのは、凶弾を発したテロリストではなく、遺族のお前らだ。


お前ら家族のために長崎市長の公職があるのではない。
お前の浅はかな発言がさらに元市長の魂を執着地獄に閉じ込めたことを忘れるな。


弔いは、隠されていた本音が見聞できる唯一の場である。死者に口はないけれども、人をして隠れている本心をさらけ出させる。
これがその見本であろう。
世間体を繕うならば、無言で拝礼顕花に徹しべすが、弔いの儀での基本になりそうである。


「弔い合戦」という美名に負けなかった長崎市民は、賢明な選択をしたといえよう。
当選した元市課長は、長崎をこよなく愛する人らしい。実質3日間で、元市長遺族への同情票を上回ったことは、遺族の本心を見抜いた市民が多いことを示したようなものだろう。


死者は、美辞麗句に飾られるけれども、それは、感情に巻き込み確かな選択を惑わす言葉でもある。

戯れ言葉に踊らされないようにしたいと思った今日である。


それにしても、テロリストに対する怒りよりもこのような発言を耳にしたり見た私は、どうしようもないほどに怒り震える。

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